「今を生きる」第475回   大分合同新聞 令和7年1月20日(月)朝刊 文化欄掲載

医療文化と仏教文化(301)
 多くの日本人は幼い頃から言葉を覚え、やがて(当たり前の事として)分別で思考します。分別思考とは、日常で出会う物事に対して「それは私にとって善か悪か、損か得か、勝ちか負けか」と分けて考えることです。
 分別した物のうち価値あるものを取り込み、ない(と思う)ものは捨てようとします。この時に、うまく捨てられれば問題はないのですが、現実の人生では想定外のことが多々あります。例えば、がんになり、良かれと思って対処したが、思うように事が進まず、病気が進行した」「自分や家族に事件、事故が起こり、願い事もかなわず、自然災害に見舞われる」。これらは先送りしたり、捨てたちすることのできない事態と言えるでしょう。
 私の75年間の人生でも、喜びや苦しみがいろいろありました、何度も心を痛め、なかなか眠りにつけない場合も。いや、今でも問題はあります。このように、人生で苦と楽を繰り返すことを仏教では「人生苦なり」と表現しているのです。
 よく「私のことは私が一番よく知っている」という人を見かけますが、この「私」は自分で内省するレベルで考える自我意識です。仏教では、このような自我意識では六道輪廻から出られないと教えてくれます。
 六道とは、迷いの心(六つ)の状態で、輪廻とはそれを行き来することをいいます。六道は具体的に、@地獄…お互いが相手を害して苦しめ合う世界A餓鬼…飢えのごとく心が不足不満を生き、価値あるものを限りなく取り込もうとする世界B畜生…本能に振り回され、主体性がなく、飼い主に従属した状態。弱肉強食の世界で不安におびえる存在C修羅…私は正しい、平和を求めていると主張して絶えず争っている状態(戦争)D人間…「これで良いのだろうか」と考えることができる状態E天界…願いがかって(死を除いては)楽しみの多い世界だが、「天人五衰(ごすい)」を免れない-です。
 天人五衰とは天界で願い事がかなった人でも必ず(五つの)衰えの相が現れると、『涅槃経』に説かれています。これについて次回、説明します。

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